イカれんぼう誕生
うつ病になった私
うつ病歴18年のイカれんぼうと申します。 今回がブログ初投稿です。
拙い文章ですが、うつ病について自身の経験を語っていきます。
まず私、イカれんぼう将軍について簡単にお話いたします。
ちなみにイカれんぼう将軍という名前は私の精神がイカれてしまっているところから命名しました。
私は幼少期、母親と祖母の三人で大阪で仲良く暮らしておりました。
阪急電車が大好きだった私は、毎日のように祖母に阪急の池田駅に連れて行ってもらい電車を眺めていました。
とにかく阪急電車が大好きで電車を眺めている時間は、至福のひとときだったことを子供ながらに感じていたのを覚えております。
そんな幸せな日々が一変、母親が再婚し大阪をでることになったのです(朝、目覚めたら知らない家にいた)
そう、私の寝ている間に兵庫県の某田舎に引っ越していたのです。
2階の寝室から下に降りると見たことない爺さん、婆さん。
そして後に、私の人生を大きく狂わす義父。
外に出ると山や田んぼ、そして畑ばかり。
阪急電車が走ってない!! そして大好きな祖母もいない・・・
私には衝撃的だったのか、この当時のことは今でもよく覚えております。
とにかく、とにかく悲しくてしかたなかったです。
知らぬ間に大好きな祖母と、阪急電車から引き離されてしまったのですから。
それからしばらくは田舎の生活になじめず、友達もできず毎日なきながら生活をしていました。
しかし、次第に田舎暮らしにも慣れて友達もでき、それなりの毎日をすごしました。
そして幼稚園、小学校を無事に卒業し中学生になろうかというときに、また大事件が発生します。
母親が会社に行ったきり帰ってこない・・・・・
携帯もつながらない。一週間しても音沙汰なし。
私は何が起きたのかしばらく理解できませんでした。
警察に連絡しようと義父たちに提案すると「余計なことはするな」と言われるだけ。
私はどうすればいいんだとパニック状態に陥りました。
そして、これから私の地獄のような人生がはじまりました。
私は義父から虐待されるようになったのです。
内容といたしましては、ご飯を食べさせてもらえなかったり、首を締められ殺されそうになったりと、さまざまな嫌がらせをされて過ごすことに。
誰にも相談できず、頼りの母親とも相変わらず連絡はつかず。
母は事件にでも巻き込まれてしまったのかと・・・・・・私は諦めかけていた。
しかし、母親がいなくなってから半年後、母から連絡が。
母は嫁姑問題で家出したとのこと・・・
私はあきれてものが言えませんでした。
せめて「理由を説明してから家出しろ」と怒りがこみあげました。
そして義父は母親に出ていかれた腹いせに私をいじめているのだと悟りました。
そして、その後も続く虐待行為。
私はあえて虐待されていることを母親や周りの人に相談しないことにしました。
余計なことをすると、さらに状況が悪化すると判断したためです。
義父の顔色を伺い生活をするという苦痛に満ちた時間をすごすことにしました。
そうして、月日はながれ高校卒業をむかえました。
私は約6年間の虐待に耐えることができました。
そして、私は高校卒業と同時に逃げるように家をとびだし、大阪にあった配管工の会社に就職したのです。
いよいよ一人暮らし、私は希望に満ちておりました。
とうとう長く辛い虐待生活から開放されたのですから!
しかし、ここでも想像を絶するパワハラがまっていたのです!!
毎日のように、理不尽な暴言、暴力。
初対面で「おはようございます。今日からお世話になります〇〇です。よろしくお願いいたします」と挨拶しただけで「何がおはようございますや!!」と怒鳴られたうえに殴られる始末。とんでもないところに就職してしまいました。
その後、4年ほど我慢して勤めておりましたが精神はとうとう崩壊。
本格的なうつ病になったのです(今思えば、子供時代から病んでいました)
次回はうつ病の症状などについて語ろうと思います。